いももすのブログ

高校三年生が日記を書きながら書くブログ。

地理のテストに登場した生徒「サダヲ」の考察クラブ

 1学期中間テストが終わった。

 地理のテストにて、「サダヲ」というキャラクターがいた。最初は単なる優秀な生徒役なのかと思ったけど、大問をまたいで登場するごとにちょっとずつキャラ崩壊していくのがおもしろかった。

 大問1(同級生と思しきサダコに対して)

「これは何プレートかな?」

「日本はどこにあるのかな・・・?」

 

 大問2(サダコに対して)

「これは授業でやった台地だろ。」

 

 大問3(弟、サダトに対して)

「おお、中学生の弟サダトではないか。」

「それをchatGPTに聞くか!?」

 

 なぜこのようなことが起こったのか、考察してみた。

 大問1と2の間にサダヲがサダコと気遣いなしで話せるくらい親密になったと考えると、説明がつく。家族であるサダトに相対する時のキャラクターがサダヲの素なのだ。新学年でまだお互いのことをよくわかっていない段階のサダコとの会話で彼が猫を被るのは当然。コミュニケーションを重ね、お互いに打ち解けあってきたとき、サダヲはサダコに対して自身の素の状態であるキャラクターへとスムーズに移行することができたわけだ。しかし、その大問1と2の余白の世界を想像しもしなかった僕たち回答者は、唐突に切り替わったように見えたサダヲのキャラクターに困惑してしまった。そこでサダヲのキャラ考察の助けとして僕たちに差し伸べられた手が、家族を相手にしたサダヲの素の姿を描いた大問3。ここでのサダトとサダヲの会話を軸にして考えていくことで、サダヲの本当の姿と、さらにはサダコとの関係性の深まりについてまで想いを馳せることができるのだ。

 僕は地理の先生をまぁまぁ信じているので、もしかしたら本当にこういうことまで考えてサダヲのキャラクターを設定した可能性もあると思っている。2人が打ち解けてきているもう一つの根拠として、サダコ、彼女のキャラクターの変化も挙げられる。大問1の最初ではただサダヲが提示した「これは何プレートかな?」といった疑問に対してQA方式で優等生的に回答していたような様子と比較して、大問1の最後の会話では、先生の口調を完コピしてサダヲに披露している姿が見られるし、大問2の会話では、サダヲが自信満々に「これは授業でやった台地だろ。」と言い放つのに対して、「じゃあ聞くけど、」と応戦している。これらも、サダヲとサダコ仲良くなった説を裏付ける証拠となる。これは認められていいと思うよ。

 あと、地理の問題は本当に意味不明だった。三角州の土地利用とかマジでそんなん聞かれても困るっす・・・。

 

 全然関係ない話。

 指の関節を「パキ」とか「ポキ」とかいって鳴らす「クラッキング音」というのは、実は関節の間の潤滑油の中の気泡が、圧力によって破裂する音なのだ。泡が割れる音。だから、擬音にするなら普通「パチ」とか「パン」が正しい。そう聞こうと思えば、そう聞こえる。なのに「パキ」とか「ポキ」とかいう擬音をつけちゃうのは、やっぱり「関節を捻ったら鳴る」っていうところのバイアスに支配されてしまっているんだなぁって思う。

 

 「ファイトクラブ」の原作を読んだ。映画とだいぶ違うところが多かった。結末なんてほぼ真逆。でもやっぱり面白いなぁ。タイラーの言ってることとか騒乱計画の思想は、映画より小説の方が理解しやすかった。「ロックフェラーセンターの廃墟の周りで鹿を追う」話とかね。映画見返すたびに「何言ってんだこれ?」ってなってたから、やっとわかってスッキリした。要は「文明崩壊後の健康的な人間社会を想像しようぜ」って話なんだね。あと、出来事を時系列に沿って直線的に描くんじゃなくて、主人公のモノローグと一緒にフラッシュバックしたみたいにして描くのも、「コピーのコピーのコピー」の病んだ世界を体験してるみたいで、読んでてめっちゃ楽しかった。

 結末に関しては、「眠れて良かったね」って思った。映画「マシニスト」の結末もそういえばファイトクラブの原作に似てるな。マシニストでも最後「眠れて良かったね」って思った。

 映画のラストを原作のシチュエーションでやってもあんまり痛快さは感じなかったと思うし、原作のラストを映画で再現しても、あそこまで衝撃的な映画にはならなかったと思う。から、僕はどっちもいいと思う。クライマックスの展開に関しては僕は原作の方が気に入った。最序盤に伏線が張られてたり、ちょっと胸熱だったりで。

 映画も原作も大傑作。ファイトクラブは超面白いのでおすすめ。ふとファイトクラブ成分を摂取したくなった時、僕はファンが最近の予告風に編集した動画を観る。


www.youtube.com

 かっこいいよね。