いももすのブログ

高校二年生が日記を書きながら書くブログ。

年末

 一年が終わるので何か良いことを書こうとしていたら、3000字書いても終わりが見えず頭がぐらぐらしてきて、全部消した。僕はもう、適当でいこう。

 みんな、炊飯器の裏はもう見た?

 僕は、クリスマスの日、色々がとち狂った末に見た。めっちゃ埃が溜まっていたので、大掃除のリストに新しく追加した方がいいよ。遅いよ。

 

 僕が使っている音楽のサブスクアプリ「dヒッツ」から、プレイリスト「あなたが2022年よく聴いた曲」が届いた。曲目は以下の通り。

 toe「サニーボーイ・ラプソディ」

 group_inou「EYE」

 長澤知之「P.S.S.O.S.」

 相対性理論「ムーンライト銀河」

 米津玄師「M八七」

 ASIAN KUNG-FU GENERATION「迷子犬と雨のビート」

 物語シリーズ「帰り道」

 落日飛車「Let There Be Light Again」

 Vaundy「CHAINSAW BLOOD」

 SiM「The Rumbling」

 やくしまるえつこ「わたしは人類」

 米津玄師「KICK BACK」

 QUEEN「Brighton Rock」

 ASIAN KUNG-FU GENERATION「荒野を歩け」

 東京事変「天国へようこそ」

 銀杏BOYZ「少年少女」

 相対性理論「ミス・パラレルワールド

 カラメルカラム「Alter ego

 上坂すみれ恋する図形(cubic futurismo)

 TK from 凛として時雨「P.S. RED I」

 相対性理論FLASH BACK」

 物語シリーズ「もうそう☆えくすぷれす」

 ハンサムケンヤ「これくらいで歌う」

 相対性理論「おやすみ地球」

 相対性理論「キッズ・ノーリターン」

 物語シリーズsugar sweet nightmare

 椎名林檎「NIPPON」

 

 注釈を入れるならば、「サニーボーイ・ラプソディ」と「Let There Be Light Again」と「少年少女」はアニメ「Sonny Boy」の関連曲で、「Brighton Rock」は映画「ベイビー・ドライバー」の挿入歌で、「Alter ego」はスマホゲーム「Alter ego」のサウンドトラックで、「天国へようこそ」はアルバム「大発見」に収録されたバージョンだということだろうか。

 なんというか、一切の文脈なく自分の聴き続けた曲たちを開けっ広げに披露することは、ただそれらを紹介することとは違って、人前でマスクを外すような恥ずかしさがある。「音楽を聴く」という行為って、理性か本能かで言えば本能を満たすことに近いから、本能に従ってその曲たちを聴きまくった形跡はどことなく「はしたない」ような気がするのだと思う。あとこれ、僕が今年どういうコンテンツを辿ったのかも大体推理できちゃうな。

 聴きながら気づいたことは色々とある。「ベイビー・ドライバー」を観たのって今年だったかー、とか、「進撃の巨人 ファイナルシーズン」も今年だったかー、とか、この2ヶ月くらいで「よく聴いた曲」に昇ってくるKICK BACKとCHAINSAW BLOODすごいなー、とか、僕相対性理論好きすぎるなー、とか。

 物語シリーズの「帰り道」はこの中でもかなり好きだなー。この曲はアニメ「化物語」の1エピソード「まよいマイマイ」のオープニングテーマで、曲が始まった瞬間の映像が僕は好きだった。せわしない曲に合わせて超高速で体を揺らすツインテール女子小学生に、エンタメのすべてが濃縮されていると思う。

 あと、やくしまるえつこの「わたしは人類」も衝撃的だった。曲の説明に「人類史上初めて、音源と遺伝子組換え微生物で発表された作品です」とあって、「この冗談、どういう意味?」と思ったんだけど、本当に遺伝子組換え微生物で発表された曲だった。微生物の遺伝子に楽曲のデータを組み込み、その生物のDNA自体を記録媒体とする、というプロジェクト。それが「わたしは人類」なのだ。このときの僕はバンド「相対性理論」のプロデューサー・ボーカルであるやくしまるえつこしか知らなかったので、急に革新的なことをされて怖かったのを覚えている。曲自体はすごい好きだったから結果的に「よく聴いた曲」になってるんだけど。人類じゃないやつに「わたしは人類」って言わせるの、なんかむごいね?

 

 僕はこのブログとは別で個人的な日記を書いているのだけど、一年を振り返るために、2022年3月22日に書き始めてから今日までのその軌跡を全て読み返そうとしてみた。けど、だめだった。僕は「9ヶ月」という時間をなめていたらしい。そこそこ厚い小説くらい文章量があるのに、そこそこ厚い小説ほどのおもしろさが一切期待できない。

 ちゃんと考えればすぐにわかったはずなんだけど、僕のひそかな夢「『そろそろ往生かな』というくらいになって、本棚一つ丸々を占拠している自分の日記を全て読み返す」は多分叶わないんだろうな。「そろそろ往生かな」と思えるくらい元気な状態で、往生が近づくくらい生きていて、ずっと日記を書き続けていたとしても、そのくらいの年齢になった僕には、本棚一つぶんのつまらない小説を読み尽くすほどの胆力なんてないはずだから。読むとしても、例えば「卒業式の日」とか、「成人式の日」とか、あるかわからないけど「結婚式の日」とか「子供が生まれた日」とか、そういう何か特別な儀式があった日に限るんだろうな。今日昨日書いたこの日記も、回顧されることはない。そういう振り返られ方って、なんかすごい「甲斐がない」な。

 

 大晦日は、以前までは「笑ってはいけない」だけを観て過ごしていたので、それが終わってしまったらもう大晦日何をしていいのかわからない。去年はフォートナイトをぶらぶらプレイして、蕎麦食って早々に寝てしまって、もったいないことをしてしまったなと後悔した。こういうのって、「自分が観るものじゃないな」と16年かけて刷り込まれている紅白とかを今更観ても、ぬる〜い居心地の悪さを感じるだけで、有意義なものでもないんじゃないか。あれ、紅白ってもう終わってんの。今観たら孤独のグルメやってた。

 今年の僕は「インターステラー」を観て締め括ろうと思う。インターステラー今から観始めたら中盤くらいで2023年来ちゃうけど、まぁおもしろいしいいよね。

 というわけで、インターステラーを観るので、また来年。