いももすのブログ

高校二年生が日記を書きながら書くブログ。

日記マン2 お嬢様の謎

 ブログというものを書いておいてなんなのだが、半年ほど前から、個人的な日記をつけている。

 

 (今確認したら3月22日からだ)

 

 きっかけはなんとなくで、確か、社会の授業の「株式学習ゲーム」で僕の所属するグループが好成績を残し、景品として「パワーパフガールズのノート」をもらったことがきっかけだった。

 

 学校の授業でパワーパフガールズのノートを使うのは恥ずかしかったので、とても個人的な使い道として「日記をつける」ことを考えたのだ。

 

 日記は良い。

 

 現在3冊目の終盤あたりに差し掛かっていて、3月22日〜10月10日まで読み通すのは、試したことはないがきっとかなり骨の折れる作業に違いない。

 

 僕の大好きな小説家 森見登美彦先生は中学1年生の頃から日記をつけている日記魔で、エッセイ集「太陽と乙女」でも日記のことに言及していた。

 

 森見登美彦先生曰く、日記を書くのは快楽である。

 編集者や読者といった誰かに読ませるためのものではないから、「こんなことを書いては怒られるかな?」と考える必要もないし、入念に推敲を重ねる必要もない。書けば書きっぱなしでよろしい。ある文人が「こそこそ書くようなものは駄文に決まっている」と言ったが、その通り。日記は駄文だ。だからこそ快楽だ。

と、森見先生はこのようなことを言った。

 

 日記を書けば書くほど、この言葉がわかるったらわかる。

 

 わかってわかって仕方がないので、この文章だけですべての説明が事足りてしまうほどだが、あえてここに一つ僕の立場から補足のような解説を加えるのならば、「自意識」についてだろうか。

 

 僕は自意識というものが過剰な性質の人間なので、なにか外に向けた行動を行う際には大変な気を遣う節がある。気を遣って、その後どのような結果ができあがったとしても、それが「他者から見てどうなのか」ということを過剰に考え、後悔を重ねたり開き直ったりという作業の連続が僕の人生だ。

 

 その点において、日記というものは、誰にも見せない、絶対に誰にも見せないことが大前提なのだから、そこに自意識というものは存在し得ない。どれだけ破廉恥なことやちんちくりんなことや、破廉恥かつちんちくりんなことを書いても、それを見る他者という存在のことを考えなくて良いのだから、ぜんぜんなんにも気にならない。ただとにかく「書こー」と思ったことをつるつると書いていく。僕はここに真の自由を得たり。

 

 ・・・そして、そこで「じゃあお前はなんなんだよ」と詰めたくなるのが、この「ブログ」だ。日記とは「絶対に誰にも見せないことが大前提」のものであって、「ブログ」という形式はそれに反する。どういうわけで、「日記」と「ブログ」が共生するビオトープが存在するに至ったのだろうか。

 

 「ブログ」というものは、「公開日記」だ。

 単純に「日記」を書きたいだけなら、「公開」する必要はない。つまり、「ブログを書く」ということには、「誰かに見て欲しい」という思いが少なからず存在する。

 

 そして、僕にとっての「ブログを書く」という行為を考えたときに、僕にとってのそれは、おそらく、他の人のものよりも、「誰かに見て欲しい」という思いが強いのだということがわかった。つまり、ブログを書くという行為の内訳として、僕の中では「日記」よりも「公開」の意義の方が大きいわけだ。ブログの中の「日記」の内容は、個人的につけている方の日記のものとは重複せず、冷蔵庫に余った食材でちゃちゃっと作ったみたいなものが今のブログ記事である。

 

 で、「公開」の部分、「誰かに見てほしい」思いがどれくらい強いかというと、過剰な自意識の攻撃を甘んじて受け入れるほどである・・・。

 

 と、ここまで考えたところで「ユリイカ!」が来た。伝統なの。

 

 あの、ブログを書いているとき限定で無性に使いたくなる「お嬢様言葉」。

 

 あれは、「映像研には手を出すな!」の浅草が妙な話し方をするのと同じ原理ではないか。

 

 原作第10話「現実的な戦う巨大ロボ建造!」より

浅草「こいつぁ我々にとって最初の仕事なのじゃ。こころしてかかるべし!」

水崎「浅草さんっていつからそういう話し方出来るようになったの?」

浅草「え。」

金森「会話が苦手だから、妙な語尾で心を守ってるだけですよ。」

浅草「ワシを追い詰めるな!」

 

 そういう、自意識からの攻撃をかわすための、トリッキーな防衛規制として、僕の中にはお嬢様がいる。「ですわ」とか「ですのよ」といった妙な語尾を使うことで、自意識からの攻撃を甘く防御しているのだ。

 

 しかし、その「お嬢様言葉を使う」ということ自体が、僕の自意識には完全に「しんどい」行為であるため、お嬢様への攻撃も始まる。

 

 つまり現在、このブログ上では「自意識」と「誰かに見てほしい気持ち」と「お嬢様」が、三つ巴のdead heatを繰り広げているのだ・・・!

 

 

 以上。

 

 

imomosu.hatenablog.com

 

 

 上記の文章について、少し本題とは逸れているためここに書くことだが、「映像研」の浅草が「ワシ」とか「〜じゃ」といった言葉遣いを選択したのには、僕にとっての「ゲーミングお嬢様」のような原体験がそこにあるはずで、少し興味深い気持ちになった。

 

 

 全然関係ないけど、ロックマン2、余裕でノーコンティニュークリアが出来るほどにはなったため、今度はノーデスクリアに挑戦してみようかと思う。流石にキツいかな。

 

 

 さっき森見登美彦先生のブログ(これについては、よく考えましょう)「この門をくぐるものは一切の高望みを捨てよ」読んだが、

 

tomio.hatenablog.com

 

 ちょっと、本当にこれは悔しいことだ。本当に悔しいぞ。観に行きたすぎる。そんなに明石さんは魅力的なのか。

 魅力的なのか!!!

 

 明石さんは、「僕的魅力的なヒロインベスト3」に入るほど好きなキャラクターなのだ。今回、明石さんはそんなに魅力的なのか!!!

 

 めっちゃ観たい、観たすぎて血反吐を戻しそう。

 

 今心の中で僕は苦悶の表情で血涙を流して、「ベヘリット」みたいになっている。