いももすのブログ

高校二年生が日記を書きながら書くブログ。

やさしいクラスメイトとボケナスの僕

 どうも、こんにちは。いももすです。

 

 

 今日ここにブログを書くというのも、僕にある手段の一つであると思っています。皆さんは、今から書くことを「何の意味もない感情の排泄」でしかないと思うかもしれませんが、そして実際そうかもしれませんが、僕はこの記事を、僕が、これから変わっていく転機にしようと思っているのです。

 

 僕は中学3年生です。世間一般の中学3年生は受験などと勉強に勤しんでいる時期でありますが、僕の学校は中学校と高校が合体しているので、受験せずとも進学することができます。

 そのせいか、最近の僕はどうも、自分の気持ちが緩みに緩んでいる気がしてならないのです。ブログの投稿は遅れ、宿題の提出も先延ばしにし、小テストの範囲も忘れ・・・。「病的なまでに宿題を忘れ続け、『どうでもいい』とタイプライターで書かれまくった用紙を日常に山積みにしている、史上最悪のジャックニコルソン」と僕は自分を呼んでいます。

 もはやこれくらいなら普通に受験を受け、「きちんとできる」環境に自分を置いた方が良かったのではないか、と思ってしまうほど、僕は自分に辟易しているのです。

 

 隣の席のMさんとは一年生のときからずっと同じクラスなのですが、特に親しくなることもなく、ただ、会話の機会があれば楽しくお話ができる、くらいの、どうでもいい関係です。

 Mさんは真面目な人で、大体授業後に先生に質問しに行ってるし、宿題も全部真面目にこなしてるし、小テストの点も良いんです。そしてそれを鼻にかけることもなく、ただひたむきに勉強を続けているという、僕の知る中で「最も精神がきれいな人」なのです。本当に僕はそう思っているのです。

 さらに、この2年間のMさんを振り返って見るに、彼女は人当たりも良さそうです。班の話し合いの中で、少し意見を出しただけでもその人を褒め、休んでいた時の授業内容も軽く説明してくれ・・・と、どんな育ち方をしたらこんなに人のことを気に掛けられる人になれるのか、本人に聞いてみたいくらいです。

 

 さて、そんなMさんと、気が緩み切った、史上最悪のジャックニコルソンである僕が隣の席になると、どんなことが起こるか皆さんは想像できますか。何となく予感はついているでしょう。それが正解なのです。

 ある日の休み時間。英語の後のことでした。「明日英語の小テストあるの知っとる?」とMさん。僕は知りませんでした。「マジで?嘘、ありがと」と、自分の「小テストに対する意欲の無さ」を恥ずかしくも曝け出し、さらに、急に余命1日と宣告された気分になりました。いや、余命1日と宣告されたことは無いからその例えが正しいかどうかはわかりませんが。

 さらに恥ずべきことに、僕はせっかくMさんが、覚えやすいように「英語の後に」英語の小テストの話をしてくれたのにも関わらず、小テストのことを全く綺麗さっぱり忘れ、翌日の英語の時間の10分休憩でそのことに気づき、こともあろうにMさんにテスト範囲を聞き、5分ほどの付焼き刃の後、完全な不完全回答を作り、さらに、隣の席の人と答案を交換して採点するシステムのため、僕の完全不完全回答は、わざわざテストのことを教えてくれたMさんに見られ、僕はもう、穴があったら身を投げたい思いでした。あと、Mさんの答案は、綺麗な文字でしっかり満点でした。

 そして、採点が終わって答案が返されると、僕の打ち出した壊滅的点数の横に、赤ペンで「毎日ねむいね!zzz...」と。

 僕はもう、彼女の気遣いに感激しながらも、自らの不甲斐なさに終始絶望し続けるばかりでした。申し訳なさでいっぱいで。ほんとうに。

 

 これだけが全てでは無いのです。いつもいつも、僕は彼女の人の良さにあやかって楽ばっかりして、いつもいつも、自分の不甲斐なさに絶望し、その繰り返しで・・・。

 

 こんな体験をブログに書いたからには、これからは変わらなければいけません。宿題はその日に提出するし、小テストの日・範囲は確認しとくし、そもそも小テストは前日に勉強しておきます。よく考えれば全部当たり前のことですが・・・。それを変えなければ本当に本当に、本当に、なので、そういうことです。